卍易の学びでの気づき
執着と解放を陰と陽というカテゴライズで考える
陰はない
陽はある
という前提で
「無い」と「ある」の捉え方
無いはエネルギーの動きがないことすなわち「陰」
あるはエネルギーの動きがあることすなわち「陽」
形があってもエネルギーの動きが無ければないとなる
形として見えなくてもエネルギーの動きがあればあるとなる
陽のあるとは振動数のことか⁉️
陰の無いとは振動数が低いということか⁉️
そうか💡
だから執着はエネルギーの動きを鈍らせるのだ
解放は自分の手元から無くなるように感じるが実はエネルギーの動きが繊細となるということ
停滞したエネルギーが流れることなのだ。
繊細とは振動波が高いこと
あるとないという相反する関係性はお互いに依存している
相手がいるから自分の存在がある。
どちらが正しい、正しくないではない。
解放が正しい、正しくないではない。
執着もまたしかり。
解放へのパワーの根源は実は執着なのだ。
全てが止まり偏りを生じたとき力を失う
調和が全てである
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