病気とはなんだろう?
病原菌がどこからか、やってきて自分の身体を蝕むのでしょうか?
病気になること、それは宝くじにでも当たるような偶然の産物なのでしょうか?
昔から私はいつか突然、悪い病気にかかってしまったらどうしようと漠然とした不安をいつも心の奥底に抱えていました。
そして、突然重い病気であっけなくこの人生を終えてしまうようなことをいつも恐れていました。
身内の死によっていよいよ、その問題に対して真剣に向き合わなければならない状況が訪れました。
その時には、死生観について深く深く自分なりに考えました。
死んでしまったら、なにもかも終わりなのになぜ人はそのことをまるで忘れてしまったかのようにして生きていられるのだろう?
お金を際限なく欲すること、果てない物欲のままに、あらゆる物を抱え込むことに何の意味があるのだろう。それらは死んでしまったらその物たちは何の役にもたたなくなってしまうこと。
私は何のためにこの世に生まれ生きているのか?
その時にかたちのない、何か大切なものの存在があることに気がつき始めたと思います。
そして、病気のもとになるものは、けっして自分の外からくるものではないこと。
それは自分の中にあるということ。
自分の中から病気というメッセージを私に知らせているのだということ。
自分の人生を生きていますか? |
あなたはそのままでいいのですか?大切なことに気がついて! |
心と体の調和が取れていないよ!
心の調和を取り戻して!そうすれば自ずと体は健康を取り戻すんだよ!
そのようなメッセージを自分の中の身体を司る、言わば「潜在意識」が、いやさらに高次の意識が私にそれらを病気というの形のメッセージで送っているのだということに気がつきました。
そして、そのメッセージにどのように向き合えばよいのか?
自然由来のお薬を飲んだり、身体に良い生薬、漢方薬などを摂ることでだいぶ回復に向かいますが、しかしながらそれだけでは十分ではないのです。
実は一番大切なことは、目には見えない心の調和をとることなのです。
その方法さえ知ってしまえば、病院のお薬も、漢方薬でさえも、いらなくなってしまいます。
とはいえ、心の調和をとることは日々自分を大切にみつめることが必要で、多忙極まりない現代人には難しいことかもしれません。
この心の調和をとることは病気のメッセージに対してしっかりと気がつくことに繋がります。
気がつくともうメッセージは必要なくなりますので、病気にはなる必要がないので、健康に穏やかに生きることができるのですね。
病気になるのも、健康になるのも全てが自分しだい。答えは全て自分の中にあるのです。
自分の身体は言わば宇宙を根源とした尊い生命で大切な預かりもの。
こんな風に感じられるようになりました。
そうすると、なんとも不思議なことに身体はとても、喜んでいるような、とても楽に生きることができるようになりました。
そこに至るまでに、沢山の人の言葉や書籍や古代の叡智のほんの一部を知ることができたからなのです。
五常の徳のひとつ「智」は、理解、知ること、比べる、損得、謙虚、などたくさんの意味を持ち、「仁」を生む。
「仁」とは感謝、愛、許し、可能性です。
物事の本質を知ることは「感謝や愛」を生じるという自然の法則に適っています。